若者とまちの未来を桐を通じて応援したい|島倉桐材店 社長 島倉茂 さん
結城といえば「結城紬」がまず思い浮かびますが、紬に並ぶ伝統工芸品といえるのが桐だんすや桐げたなどに代表される「桐」製品。その歴史は古く、室町時代末期に領主である結城家が、上方文化とともに茶たんす作りを伝えたのが始まりといわれています。
以来、衣装だんすなどの家具調度品から、げたなどの小道具まで、時代に合わせた桐製品が作られ、結城の産業を支えてきました。近年では需要の変化や海外生産に押され、国内の桐業もかなり縮小してしまいますが、市内には今も桐の工房が点在し“結城の桐“を継承しています。
「結いのおと」「結いの市」をはじめとする市街地の祭りやイベントで、桐の白木の箱や行灯(あんどん)がずらりと立ち並ぶのもおなじみの光景です。その箱や行灯づくりを引き受けている「島倉桐材店」を訪ねました。
40年前に結城へ。義父の店を継いだ
工房を訪ねると、社長の島倉茂さんが出迎えてくださいました。島倉さんは常陸太田市で生まれ、結城市に住み始めたのは約40年前。義父が営むこの桐材店に入り、跡を継ぎました。まず任されたのは外回りだったそうです。
「東京や各地のデパート、東京ドーム、ビッグサイトなどでの物産市、林野庁や国の出先機関なども含めて、15年、20年ほどあちこちを見て勉強させてもらいました。お客さんの意見をじかに聞くこともできましたし、それはそれは楽しかったですね(笑)」
そんな時期を過ごした後、島倉さんは工房内の仕事に移りました。
「桐の仕事は分業なんです。伐採する人と、合板にする人、それを組んで仕上げる職人さんがいて、うちは中間。桐材を仕入れて、たんす屋さんに納める合板材を作るんです」
扱う桐材は、主に秋田県産です。仕入れの際には深夜1時頃に出発。早朝に山形県の東根にある伐採業者に到着すると、約2トン分の桐板をトラックに積んでもらい、戻ってくるのは夜。往復約700kmの道のりです。
「昔は結城でも桐が採れましたが、今は2、3か月に一度、仕入れに出ています。それから桐板を屋外で雨に晒して乾燥させ、アク(タンニン)を抜きます」
屋外倉庫へ行ってみると、桐板を組み上げた山が所狭しと並んでいます。山の間に桐板を渡し、つなぎながら組むことで力が分散され、台風が来ても倒れないのだそうです。そのまま板の表面が黒くなるまでアクを浮かせるのですが、この工程だけでも数か月、季節によっては1年近くかかることも。それだけの時間を要することも、桐仕事が分業である理由のひとつだそうです。
工房にはいくつもの加工用機械がどっしりと鎮座して、その間に加工途中の板や試作品、出荷を待つ完成品が積まれています。
アク抜きを終えた板は表面を削り、白い板にしてから貼り合わせます。合板作りは、注文に応じて行います。たんす用合板のほか、紬小物などを入れる桐箱、最近では卓球用品メーカーからラケット用合板の注文も。卓球ラケットの芯には、軽くてゆがみの少ない桐板が適しているのだそうです。
島倉さんは注文品のほか、オリジナル商品もいくつか手がけています。
例えば、お客さんの声がヒントになったスマホスピーカー。作りはシンプルですが、スマートホンをセットして音楽を流すと、ホーン(開口部)から音がぐんと拡がって響いてくるのがわかります。
桐の幼児用椅子は、同居するふたりの孫と接するなかで生まれました。上下をひっくり返すことで座面高が変わり、子どもの成長に合わせて使えるというアイデア商品。軽量なので子どもでも持ち運びしやすく、専用の天板を置いたり、絵本棚としても活躍します。ちなみにこのスマホスピーカーと幼児用椅子は、結城市のふるさと納税返礼品に選ばれています(どちらも受注生産)。
ひとりの会社になった今、できることを
現在はひとりで仕入れから加工、納品まで行なっている島倉さん。過去には複数の職人や従業員を雇っていたそうですが、ひとりの会社になって還暦を迎え、商売とは別の方法で人に喜ばれることをしたい、喜ばれるものを作りたいと考えるようになったといいます。
祭りの箱や行灯は、結城のまちづくり活動「結いプロジェクト」からの依頼で、10年ほど前からほぼ無償で提供しています。音楽フェス「結いのおと」でチケット代わりに使われる桐の札、盆踊りの参加賞として子どもたちに配る桐のペン立て、それぞれ毎年100個単位で用意しています。若い世代が企画するまちづくりに関わることを、島倉さんは意気に感じているようです。
「自分の作ったものが喜ばれるのは幸せなことです。工房にひとりでいると、新しいものはなかなかできにくい。そういう意味でも、桐を使った新しいアイデアをもらえたら、どんどん形にして力になりたいと思っているんです」
島倉さんは、小学校に出向いて子どもたちに桐の知識を教えるボランティア講師も引き受けています。
「学校から、市の特産品ということで、子どもたちに桐のことを教えてくれないかと提案をいただいたんです。そこで、実際に桐で簡単な工作をしてもらったり、桐の軽さを体験してもらったり。材料としての桐の話だけではなく、咲かせる花についてや桐紋の『五七の桐』の話もしています。工作用の桐板は全員分を作って持参します。材料はありますから(笑)。毎年3年生に教えて、もう10年になります」
子どもたちとの交流を語るとき、島倉さんのにこやかな表情はいっそう和らいで見えます。最初に教えた子どもたちはもう二十歳。桐をきっかけに、子どもたちに地元の歴史や暮らしを考えてもらうこともまた、まちの未来につながることを感じているようです。
「自分自身を振り返ると、ちゃんとした職人でも、かといって商人でもない、どっちつかずで(笑)。でも65も過ぎて、孫もできて、これからは結城に貢献していきたい」
ご自身が若い頃にさまざまな場所で刺激をもらったように、若い人たちも外に出て新しいことを吸収し、結城のまちづくりに活かしてもらえたらという想いもあるそうです。
「そうした若い人たちが結城をいかに変えてゆくか。これからの結城を若い世代の力に任せたい、それを手伝いたいと思っているんです」
取材・執筆:晴野うらら
筑西市出身、Uターンして3年前から筑西市在住。コーヒー、古道具、古民家、山と森、子猫と民藝が好き。